偶然出会ったデモ隊の若者たちの覚悟
従順で平和な日常を過ごしてきた自分たちの世代とのギャップ
Q:本作を撮影するきっかけはどういったものでしたでしょうか?
きっかけは2019年秋。別件の仕事で香港に滞在した際、偶然にも香港の中心街、九龍にあるネイザンロードで、バリケードを作るデモ隊と遭遇したことでした。混乱の中、半ば巻き込まれる形で興味本位から彼らの後についていくにつれ、大学生、高校生や下は中学生と皆年齢が一様に若年層だったことと、勇武派(戦闘部隊)に女子も多く含めれていたことに驚かされました。可能性ある将来を台無しにするかもしれないリスクを取り、水蒸気で霞んだガスマスク越しに、人生をかける覚悟が、その幼い表情から伝わってきました。
なぜそこまでして、戦うのか?当時の私には理解が及びませんでした。しかし催涙ガスの飛び交う中、警察や巨大な権力と戦う若者の姿に動揺するととともに、とても心を動かされている自分がいました。また指揮をとる代表者がいないにも関わらず、数千人のデモ隊がSNSを駆使し、いっせいに走り出し、警察を煙に巻く。その統制のとれた戦略は感動的でさえありました。
そもそも私は香港の政治問題に強い興味を持っていたわけでは有りませんでした。しかしなぜ映画撮影に踏み切ったのかを思い出すと、原因は自分の内面にあるような気がします。自分が日本に生まれてこのかた、社会や権力に対し、概ね従順で平和な日常を過ごしてきた世代だという、負い目のような認識がありました。ですので反抗する彼らの姿との落差に、余計に心を掴まれたのかもしれません。
この現実を同時代を生きる日本の若者に伝えたいという思いと、リスクを考え躊躇していた私に、本作プロデューサーでもある前田穂高が背中を押してくれたことも加わり、プロジェクトが急遽スタートしました。
「わらしべ長者」のように、人を介して繋がっていった撮影
不規則にいつ、どこで起こるかわからないデモをどのように捉えるか
Q:短い撮影期間の中で様々な人にインタビューをされていますが、どのように出会っていったのでしょうか?
数珠つなぎに紹介をくりかえず形で、出演者を見つけていきました。童話の「わらしべ長者」を思い描いていただけるとイメージが近いかもしれません。まず自分たちにとり以前の香港は無縁の場所で、知人やツテなども全くない状態で、正直映像作品を作れるかどうか、不安な要素がたくさんありました。また撮影を決意してから香港入りするまで、1ヶ月弱という短期間で準備を進めなければなりませんでした。
そこでまず日本で活動する在日香港人が主体となる民主派の団体にお会いし、協力を仰いだところ私たちの撮影日程と同じ期間で、帰国する香港人の若者(本作出演のケン、ウイリアム)を紹介いただき、その二人の存在が、香港への最初の足がかりになました。また撮影当時の2019年11月24日には香港区議会選挙が予定されており、帰国する在日香港人がたくさんいるという状態でしたので、日本語話者の協力体勢という意味でも、撮影にはプラスに働いた部分もあるともいます。
そして現地入りしてからは、デモ現場で偶然出会った若者を撮影したり、街中のレストランで食事していた時、たまたま隣り合わせた民主派の香港人に通訳として仲間になって頂いたりと、計画を立てず流動的に撮影をしていました。全体の8割は計画的ではなく偶然と巡り合わせで撮影させて頂いた方々です。撮影が考えていたよりスムーズにいった点としては、香港には親日家、日本語話者が多いのと、人間関係の共助が発達していて、密接だからこそ、このようなスタイルでも出演者を見つけることができたのだと思います。
Q:デモ隊と警察が衝突するところ等、大変な状況の中での場面が多いですね。撮影で苦労した点はどういったところでしょうか?
撮影で苦労した点は主に2つあり、「警察暴力の過激化」と「デモの不規則性」です。まず撮影を困難にしていたのは、デモ自体が非常に流動的で、「いつ」、「どこで」、「何が」起きるのかという予測が全く出来ないことです。
2019年度から始まった香港デモは「兄弟爬山 各自努力(各自の努力で山に登ろう)」というスローガンにもありますが、若者達は中央集権的なシステムで動いているわけでは無く、中心的代表者の存在しない運動だと言われています。これは代表者の逮捕により、運動の収束を防止する意味もあります。各個人が自分で考えSNSを駆使して仲間を集め、ゲリラ戦法で戦うスタイルを採用してました。ですので今日起きることを、主体となっている若者達も完全にはわかってはいません。
デモのスローガン「be water(水になれ)」
現場や自然の流れに合わせ、撮影も流動的に変化させていく
私たちはテレグラムと言う匿名性の高いSNSの中で行われる、暗号的な広東語で交わされる、デモ隊の会話を毎日チェックして、その漢字のもつ意味からデモの行われる場所や、内容を想像して撮影に出かけていました。ですので現地に到着しても何も起きなかったことや、情報そのものがガサネタだったことも、また警察側のおとり捜査のような時もありました。テレグラムの内容は香港特有の表現、方言、隠語が多く含まれ、中国語話者でも理解するのは難しいと言われていて、私たち外国人にとっては超絶難解な暗号を解読するゲームのようでもあり、逆に楽しくもありました。
現場で出会った青年が言っていた言葉が思い出されます。「俺たちの戦法は be water(水になれ)だ。」これは現在のデモのスローガンの一つでもあり、香港の英雄ブルース・リーの言葉です。各人が水のように形を変え、自由な存在であれと言う哲学です。私が高校生の頃に憧れたスターに時空を超え、再会することになるとは夢にも思っていませんでした。「郷に入れば郷に従え」ということわざにもありますが、我々も、コントロール出来ない事に一喜一憂するのでは無く、現場や自然の流れに合わせ、自らの撮影スタイルやスケジュールを流動的に変化させていく。そんな方法論での撮影にシフトしていきました。
メディアへの締め付けも過激化していった警察の対応
身を持って感じた催涙ガス、ペッパースプレーのダメージ
また、デモ隊を取り締まる警官にとって、リアルタイムで世界中に映像を発信している、メディアは目障りで、鬱陶しい存在です。現場が可視化されることで、暴力装置としての警察の力は半減するからです。ですので我々が撮影に入った2019年11月には、撮影者に対する警察の締め付けも過激化し始めていると感じました。現場において私は至近距離から顔面に催涙成分の入ったペッパースプレーの直撃を受けて、痛みに苦しんだこともありましたし、二度ほど路上で身体拘束を受けています。
またプロデューサーの前田は放水車の直撃を受け、負傷しました。放水は水圧で吹き飛ばされる事も危険ですが、催涙成分が混入にており、浴びると全身に強い痛みを感じます。その場でボランティアの救急隊に簡易的に治療していただき、事なきを得ましたが、その後シャワーで体を洗っても肌の赤み、腫れは収まらなかったようで、大変苦労しました。
激しいデモと隣り合わせにある何気ない香港の日常
とてつもないスピード感で移りゆく街の姿
Q:出会いがしらに始まった撮影だったかと思いますが、その過程で発見したことはありますでしょうか?
香港という都市はその清濁入り混じった、情景に相応しく、非常に多彩な側面を持つということを発見しました。また街の変化のスピードがとてつもなく速かったのが印象的です。例えばメインロードで衝突が起き、数千人のデモ隊と、警察が対峙し、催涙弾が飛び交う混乱の中でも、一歩裏路地に入ると、地元のおじさん、おばさん達が何事もなかったようにのんびりとお茶をしたり、新聞を読んでいたりする、牧歌的な香港の光景がありました。
我々異邦人からすれば、その時起きていることはとてつもない事態なのですが、デモが半年以上続き非日常が常態化して、日常になってしまった。そんな超自然状態の混沌がこの街で続いている。そんな印象を受けました。よく現場でプロデューサーの前田と香港は大友克洋の「AKIRA」の終末的な世界観そのものだと話していました。
街の変化のスピード感がとてつもなく速かったのも印象的でした。大規模なデモが起きると、親中国派の企業や道路標識、バス停、地下鉄駅などが破壊されますが、翌日の朝には多くの会社や路線は簡易的な修復をすませ、営業を再開していました。本作後半に香港上海銀行HSBCが破壊されるシーンがありますが、デモ隊が去った1時間後(深夜)にはまだ火炎瓶の煙が漂う中、すでに修復工事の作業員が現場に到着して、作業を開始していました。また香港では中国資本の牛丼の吉野家やスターバックスなどは勇武派のターゲットにされていたので、銃弾でも貫通できないような強固な装甲板で補強されていて、デモ隊が近づくと入口が閉ざされ完全に要塞化していました。良くも悪くも香港人の底知れぬパワーを感じた瞬間でもありました。
「香港画(ほんこんが)」/Hong Kongers(ホンコンガー ※香港人の意)/壁画のような映画を
21世紀のこれから、どこにでも起こるであろう未来を感じ取ってほしい
Q:28分という尺にまとめた経緯、映画の狙いを教えてください。
「香港画」とう言うタイトルは英語で香港人を発音する「Hong Kongers(ホンコンガー)」と発音をかけている部分もありますが、もう一つは壁画のようなイメージの映画にしたいと言う意味合いがあります。
一般的に大衆に見られることを前提とした壁画には、時間と空間が圧縮され、一枚の絵の中にあらゆる物語や情報が、わかりやすく平易に描かれています。「香港画」では1ヶ月半の撮影期間を24時間(1日)の出来事にに再構成してあり、「時間と空間の圧縮」という作為が全体的になされています。本作は報道のような出来事の正確性を追求したり、経緯や歴史を描く事よりも、香港という都市空間で起きている現象そのものを俯瞰することと、抗議を行う若者達の感情を描くこと。この二点のみを一番に重視しています。
そのため通常のドキュメンタリーであれば描かれるべき情報(デモの経緯や歴史など)を大胆に削ぎ落としています。結果28分という尺がベストではないかという選択に至りました。「香港画」の全体コンセプトには20世紀初頭に画家ディエゴ・リベラ(フリーダ・カーロの夫)らを中心にしてムーブメントになったメキシコ壁画運動(虐げられた先住民の解放とアイデンティティーの確立)の影響があります。
Q:最後に、完成した作品をどのように観てもらいたいですか?
私には香港で起きている政治問題に対して善悪や白黒を付けたいという思いはありません。映画が社会を分断させる装置になってはいけないと考えているからです。しかしながら香港で現在起きていることは、私たち日本人にも無縁では無く、他人事ではない問題だと思っています。それは日々過激化する言論統制と、警察による暴力を香港で肌感覚で感じたことで、現在の中国の政治体制が21世紀を通じ覇権を拡大する中で、今回と類似した構造を持つ衝突を、東アジア全域で繰り返していくであろう未来を想像したからです。
観てくださる観客の方々には、香港問題は未だ形を変え、継続している事。そして、同時代の東アジアに生きる若者が、何を考え、生きて、戦っているのか?シンプルに感じ取っていただけたら幸いだと思っています。